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トップインタビュー「私とメンター」

Vol.2

自信を持って挑戦する気持ちを与えてくれた

細谷 英二    鰍閧サなホールディングス 取締役兼執行役会長

「ワーキングウーマン・パワーアップ会議」(事務局:日本生産性本部)では、働く女性のパワーアップを応援する活動を推進する中で、メンターによるサポートが重要であることから「メンター・アワード」を実施しています。2012年9月19日に、りそなホールディングス・細谷英二会長に、ご自身の経験から「メンター」と女性の活躍への期待についてお伺いしました。
(インタビュアー:アキレス美知子 (株)資生堂 執行役員/ワーキングウーマン・パワーアップ会議 推進委員)
アキレス細谷会長は2003年にりそな銀行に来られてから、色々な改革を実行され、女性の活躍推進についても数多くの実績を挙げられていると伺っています。今までのご自身のキャリアを振り返ると、メンターという名前でなくても、節目節目に相談して、ヒントを与えてくれる人がおられたと思いますが、特に印象に残っている方はいらっしゃいますか。

ひとつ事にあたった時に全力を尽くせ

細谷色々な先達に助言をもらったり、あるいはその方の立ち振る舞いの中で学んできたことは非常に大きいと思います。私自身は旧国鉄で19年過ごして、民営分割を実務的な責任者を含め、若手改革派として推進してきました。1987年にJRとして生まれ変わった時、会長として、当時三井造船の会長だった山下勇さんが来られました。私は最初の9年間ずっと経営企画部門にいましたので、いわゆる常務会という意思決定の会議や取締役会等で直接山下さんのお話を聞く機会がありました。また、非常にお酒の強い方でしたので、色々な社内の懇親会の後、ホテルのバーに連れられて、膝を叩かれながら色々訓示を受けたこともあります。

アキレス熱く語られていたのですね。

細谷山下さんは技術屋、私は事務屋で世代も違うので、相当にストレートな質問をしましたが、真摯に答えていただきました。やはり民営化を成功させるためには、山下会長からたくさんのことを学ぶ機会が与えられたし、学んできたと思います。  山下さんは造船業として海外へ留学や進出をされてきているので、「世界の潮流に遅れない視点を持て」とか、「機械化、システム化というのは、仕事の質を高めるためだ」とおっしゃっていました。国鉄出身者には、機械化、システム化というのは合理化の裏返しという意味だったので、印象的でした。
 それから、2人きりの時に、「経営トップとして、最も大事な資質は何だと思いますか」と聞いたら、ぽつんと「忘れることだよ」と答えて下さった。当時は分からなかったのですが、りそなの会長になってから、しみじみとその言葉の意味が分かりました。「ひとつ事に当たった時に全力を尽くせ」ということなのです。スポーツと一緒で集中力を絶やしてはいけない。また、過去の失敗、あるいは、1週間前や前日の判断を迷いながら次の案件に立ち向かってはいけないという助言をもらったと気付きました。
 1993年に亡くなられたのですが、冬から体調を崩されており、その直前にお酒をご一緒する機会がありました。「これまでJR東日本は、『What he has done』、国鉄時代から色々やり残したことをきちんと立て直すことがメインテーマだったけれど、これからは『What he is doing』だ」と言われました。「これから何をやり、何を目指すのか、その高い目標や高い志を持て」ということをおっしゃりたかったのだと思うのですが、「今度、経営管理についてじっくり話したいね」と言って下さったのに、詳しいお話を聞くチャンスを逃がしてしまいました。

日に30分ぐらいは世の中の事、地球の事を考えろ

細谷それから2人目は、ウシオ電機の牛尾治朗会長です。1992年に中国の国営企業が巨額な赤字を出し続けていた時期に、牛尾会長を団長に、一橋大学の竹内先生や野中先生等と共に上海で経営管理セミナーを開いたのです。北京からも副大臣クラスが大挙して集まり、私は自分の国鉄改革経験や民営化が一つの企業組織の活性化に大きな役割を果たした事をスピーチしました。それまで中国政府は、あくまで国営企業と言ってきたのが、次の年からは国有民営という表現が見られ、株式会社化を一つの選択肢として検討し始めました。結果としてその後、中国の郷鎮企業など国営企業の民営化が進んでいったのです。
 その時に、牛尾会長が「お前の話は本物だ」「お前は民営化論で一生やっていけるぞ」と冗談交じりで褒めて下さいました。その後から、年に1回か2回、食事をしながら色々アドバイスをいただき、JRの取締役になって3年目の1995年に同友会の会員になったのです。その時の代表幹事が牛尾さんで、色々と直接指導を受けました。
 1997年だったと思いますが、牛尾さんから呼ばれ、「専務常務クラスの朝食勉強会をスタートさせろ」と言われて、自分の仕事以外の現場に根差した勉強会をスタートしたわけです。その時に牛尾さんに言われたのは「酒ばかり飲まずに、日に30分ぐらいは世の中の事、地球の事を考えろ。あるいは本を読め」ということでした。100%は守れませんが、非常に役に立つアドバイスだったと思います。
 それから、りそなの会長になることを牛尾さんから説得されて、最終的には清水の舞台から飛び降りる覚悟で引き受けたのです。私自身が非常に悩んでいるし、誰が見ても成功しないだろうと言われていたりそな再生なので、牛尾さんも、すごく気配りをして下さいました。例えば就任内定の記者会見の日、家に帰るとすぐ電話がかかってきて、「今日の記者会見はよかった」とか、その2週間後ぐらいの土曜か日曜にも自宅に電話があり、家内に「彼は元気にしていますか」など。その翌年にNHKで9カ月間の私の取り組みを特集してくれた時も、番組が終わるとすぐ電話がかかってきて、「今日のNHKスペシャルはよかった」と。そういう、トップリーダーの気配りというのを、牛尾さんから学ばせていただいた。

アキレス細谷会長がりそなの大事なお仕事を引き受けられた時は、業界も全然違いますし、OBも皆心配したぐらい逆風の中だったと思います。そういう時に、サポートされているというのは大きな力になりますね

細谷そうですね。同友会に入って本格的に活動し始めたころ、牛尾さんに「お前は何でもできるのだから、JRの枠を超えろ」ということは言われていましたので、そういう意味では、迷った面もありますが、挑戦する気持ちになったということです。

アキレス直属の上司はもちろんですが、客観的に見ている方にそういう言葉をいただくのは、本当にうれしいですね。

細谷そうですね。やはり仕事上の上下関係だと、色々なことを言ってもある種の利害が絡まっていますから、組織外の方から言われると本当に自信につながります。


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