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インタビュー「私とメンター」

Vol.1

自然発生的にメンターと出会い、
節目節目に適切な言葉でアドバイス

牛尾 治朗 ウシオ電機(株) 代表取締役会長/(財)日本生産性本部 会長

「ワーキングウーマン・パワーアップ会議」(事務局:日本生産性本部)では、働く女性のパワーアップを応援する活動を推進する中で、メンターによるサポートが重要であることから「メンター・アワード」を実施しています。同会議の牛尾治朗顧問に、ご自身の経験から「メンター」と女性の活躍への期待についてインタビューしました。
(インタビュアー:アキレス美知子 (株)資生堂 執行役員/ワーキングウーマン・パワーアップ会議 推進委員)
アキレス今回「私とメンター」というテーマで、牛尾会長のご経験を伺いたいと思っています。 まず、今までいろいろな素晴らしい先輩、またはメンター役の方にお会いになっていると思いますが、その中でもご自身が最もこの人には感銘や影響を受けたと思われる方はどなたですか。

牛尾昔は「メンター」という言葉や概念がなかったですからね。20〜30年経って振り返ってみると、いろいろな出会いで指導してもらったり、尊敬した人がいたから、今の自分があるわけですね。初めからというのではなくて、結果としてメンターとなったね。

安岡正篤先生との出会い

アキレス自然発生的にメンターとの出会いがあったわけですね。

牛尾僕は思想的には、陽明学の大家である安岡正篤先生にお世話になりました。姫路に陸軍の第十師団という大きな師団があり、3か月に一度、先生がその軍と師範学校の幹部に指導に来ていたんです。姫路は当時からあまり旅館がなく、祖父が家へずっとお泊めしたんですね。
 僕が先生と会ったのは戦後で、旧制の三高に通っていた頃です。三高というのは非常に自由な学校で、陽明学だの陸軍と交流しているだのというのは右翼の塊だというような印象があって、安岡先生が来るっていうと、逃げ回っていたんですよ。

アキレスなかなか大変ですね。

牛尾それでも、3、4回は一緒になったんです。父が「安岡先生が本を持ってくるのを忘れたが、3冊ほど夜に読みたいというから、君が選んで持っていけ」というわけですよ。それで近しくなると思ったんでしょうね。僕は当時、三島由紀夫や川端康成、そういう耽美派というか純文学が好きだったから、確か、川端康成の本と、吉川英治の『三国志』と、僕がその時に読んでいた、実存主義のサルトルの3冊を持っていきました。

To do goodの前に、To be goodが大切

写真:牛尾治朗
牛尾 治朗 (うしお じろう)
東大法学部卒業後、東京銀行に入行。1964年にウシオ電機を設立し、現在、同社 代表取締役会長。その他、経済同友会 特別顧問(終身幹事)、総合研究開発機構(NIRA) 会長、日本生産性本部 会長などを務める。
アキレスそれが、最初に親交を始められたきっかけですか。

牛尾そう。翌日、「面白かったよ。川端康成の本はあまり読んだことがなかったから、大変よかった」と。サルトルになると、その上のヤスパースとかニーチェから先生は皆、読んでいるわけです。
 一番近しくなったのは、東大を卒業して、東京銀行に入ることにした時ですね。父に「東銀に行こうと思う」と手紙を書いたら、「安岡先生はどういうご意見か私に聞かせてくれ」というわけです。何で安岡先生かと思ったけれど、僕は「海外に行きたいから」と言うとバカにされるから、「国際金融は非常にこれから大事だ」という話を先生にしたわけですね。すると「あなたの言うことはよく分かるんだけれど、やっぱりいいことをする前には、いい人間でないと駄目ですよ」と言われました。僕が中国古典が嫌いで、英語や独語の世界の方を尊敬していると見破ったんでしょうね。「To do goodする前にTo be goodが大事ですよ」と言われたその言葉に、非常に感銘を受けました。うまいこと言うもんだと思って。

アキレスなるほど。

牛尾それから、「東京銀行には非常に優秀な人材がいる。自分にも、3人のお弟子さんがおりますから、1人2人訪問しなさい」と名前を書いてくれた。「そういういい人材がいるところで仕事をすることは非常にいいことですから賛成です」といって、“霧の中を歩めば覚えざるに衣湿る”という道元の言葉も書いてくれました。「霧の中を歩けば、知らぬ間にしっとりと衣がぬれる。いい人物と一緒に仕事をすることで、To be goodになるというものですよ」と。これが非常に僕には効いて、『もっともだ』と思ったわけですね。それで、その1人に連絡を取って、「安岡先生の紹介です」というと、「ああ、そうなの。すぐ来いよ。今からでもいいよ」って。行ったら人事部長なんです(笑)。

アキレス面接のようですね。

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